メニュー

楽しく生きていますか?

[2017.06.10]

職業柄、人の悩みを聞くことが多い。人は悩む葦である、と思うほど多くのことで悩んでいる。これは、幸せそうに見える人も例外ではない。特に私が大変だと思うのは、障害を持つお子さんの母親だ。「この子を置いて先に死ぬわけにはいかない」という執念が伝わってくる。

人は悩むことで、また新たな目標に向かって生きていく。悩みごとや日々降りかかってくる問題は、それを乗り越えて生きていくための糧になる。しかし、私の外来を受診する多くの人にとって、悩みは辛いことであり、中には悩みのために精神の破綻を来す人もいる。

「平等でない」、「不幸だ」といわれても、日本ほど平等な国はないし、日本に生を受けるほど幸せなことはない。「平等でない」ことは事実であるが、「平等でない」ことをいくら悩んでも、何ら問題は解決されない。どうせ悩むなら、問題が解決されることを悩むべきだ。「孫のことが心配で」と苦痛の表情を浮かべる人もいるが、本当に悩んでいる人は、自分のことか自分の死後、幼子がどうなるかを悩んでいる。「孫のことが心配で」という人は、自分ことではなく人のことを悩んでいられるだけ、ある意味幸せだと思う。

このようなことを云うと、悩むことを軽視しているのではないかと思われるかもしれないが、決してそのようなことはない。中には悩みが原因で自殺する人もいる。ただ、自殺は先進国の専売特許だ。

絶望した時、人は悩むことをやめるのではないかと思う。戦争激戦区の人は、「明日食べる物があるのか」、「明日命があるのか」、「家族や友人は大丈夫か」くらいしか考えられなくなるのではないか。国を捨て、新天地を求めて旅立つ人もいるが、これらの人の選択肢は限られている。

こうしよう、ああしようと悩むことは、選択の余地がある人がすることだ。また、日々悩むということは、日々悩んでいられるだけの時間の余裕がある人に許されている特権だ。どうせ悩むのだから、多くの選択肢の中から選べることを楽しんでほしいし、日々悩んでいられるだけの時間があることに感謝しても良いのではないかと思う。

悩み事を解決するには、物事を良い方に考えることが重要である。しかし、多くの人は悪い方に考えてしまう。出かける時に鼻緒が切れたことを悪い前兆と捉えると、人生は辛いものになってしまう。途中で鼻緒が切れればもっと大変なので、家で切れたことはラッキーなはずである。物事を良い方に考えるようになってから、私の人生はますます楽しくなっている。

最後に8年の闘病生活の末、癌で亡くなった方の笑顔をお届けして締めくくりたいと思う。その日、患者さんは満面の笑みで私を迎えてくれた。私も患者さんも、その命が数日の内に尽きることは理解していた。翌日、彼女は昏睡状態に陥り亡くなった。なぜあれだけの笑顔でいられたのか、なぜあれだけ心の安寧を保っていられたのか今も分からない。その答えを求めつつ、彼女のように、命が尽きるまで、楽しみながら残された人生を歩みたいと思う。

(2017年6月10日 諏訪中央病院・東洋医学センターにて)

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME